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平将門の首塚

今日ご紹介いたしますのは、平将門公の首塚です。(東京のど真ん中にあります)


 大手町ビル街の一角に木々が茂り一種異様な雰囲気を漂わせている。
(平将門公のお墓として多くの方がお参りしています)

<物語>
 朝廷に対して反乱を起こして討たれた将門は、京で梟首されるがその首はこの地まで飛んで来たという。首が埋められたというこの地は数々の怪奇現象が起きたことで有名。
 

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、平将門の首塚(たいらのまさかどのくびづか)とは、平將門の首を祀っているとされるもの。将門塚(しょうもんづか)とも呼ぶ。東京都指定旧跡。伝承では、首は平安京まで送られ東の市・都大路で晒されたが、3日目に夜空に舞い上がり故郷に向かって飛んでゆき、数カ所に落ちたとされる。伝承地は数ヶ所あり、いずれも平将門の首塚とされている。その中でも最も著名なのが、東京都千代田区大手町1-2-1外[1]にある首塚である。

 古くから江戸の地における霊地として、尊崇と畏怖とが入り混じった崇敬を受け続けてきた。この地に対して不敬な行為に及べば祟りがあるという伝承が出来たのも頷けるものがある。そのことを最も象徴的に表すのが、第二次世界大戦後に、GHQが周辺の区画整理にとって障害となるこの地を造成しようとしたとき、不審な事故が相次いだため、結局、造成計画を取り止めたという事件である。また隣接するビルディングも塚を見下ろすことのないよう、窓は設けられていない。



<成田山新勝寺との関係>
 平将門の乱平定祈願のため、下総国公津ヶ原で不動護摩の儀式を行った。新勝寺はこの天慶3年を開山の年としている。乱平定の後の永禄年間(9年―1566年?)に成田村一七軒党代表の名主が不動明王を背負って現在の場所に遷座し伽藍を建立、東国鎮護の寺院となった。つまり将門の乱を平定し、戦勝記念としてつくられたのが成田山新勝寺となるようだ。


<新皇>
新皇と称し公然たる朝廷の反逆者となり、天慶3年(940)平清盛と藤原秀郷の連合軍の前に敗退し、流れ矢に当たって討たれた(天慶の乱)。

この国の歴史のなかで、新たな王として名乗りをあげた者があっただろうか?
こんなすごい人が日本にいたんですよ、みなさん!それも千葉出身!!
こんな気骨のアル日本人が千葉にいたなんてエクセレント!かっこいい!!



 卑弥呼や倭国の始祖が九州なら、文化や政治の基礎を作ったのが奈良・京都で、武士道やご奉公という新たな文化と政治に精神論を持ち込んで国を取りまとめたのが東国文化だと感じています。つまり後の源頼朝公、徳川家康公の基礎を作ったのが将門公ではないでしょうか?


 源頼朝公、平将門公ともに西日本にはない、東国の武将のダイナミズムおよび領土と政治における東国独特の武士カルチャーがたまらなくすばらしいのです。


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by toshiosada | 2008-01-05 19:57 | 携帯電話写真館

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